ボルネオワークキャンプ体験感想2010

「ボルネオ・ワークキャンプに参加して」  山田 恵子

 2010年2月8日、私は、オイスカのボルネオワークキャンプに参加しました。
目的は、農業、植林、水パイプ設置の協力をし、現地の人と交流する、というものでした。
 植林とホームステイに興味があったので、参加しました。
オイスカセンターでの規則正しい生活と農業体験は、新鮮な驚きがありました。
研修生たちの元気のよい笑顔と日本語習得熱の意欲には、感心させられました。

 次に、テノムから、ティウロン村という80人ほどの入植者の村へ行きました。
暑いボルネオでは、とても快適で、広いベランダで昼寝をしたり、バーベキューや、猫の飼育をしていました。
 ここに来て驚いたことがあります。それは、お母さんたちのバイタリティーあふれた元気の良いことです。子供たちも底抜けに明るく、元気一杯でした。初めての出会いであっても、久しぶりの友人に会ったような和やかな雰囲気がありました。
 ティウロン村では、主にシナモンの木の植林をしました。長さを測って、規則的に穴を掘り、1m位の苗を植えていきました。シナモンの木は成長までに5年ほどかかるそうです。今は、雑草の中に埋もれている感じですが、5年後再びここを訪れ、成長したシナモンの木を見てみたいものです。

 2番目の村スンビリン村では、山からの給水パイプの設置をしました。
ここでの作業は、困難を極めました。30度以上の炎天下、村から小高い山の斜面に向かって、パイプの通路を掘り進めます。滑らないよう気をつけながら、鍬を打ち下ろします。木の根が土の下にはびこり、溝を掘るには、大きな力が必要でした。村の人たちと力を合わせながら、少しずつ掘っていきました。
 給水パイプがつながった時は、思わず歓声を上げました。疲れがどっとでてきました。残りの作業は、村の人たちに任せ、今回の作業は終了しました。
 村の人たちの盛大な歓迎と、お別れの時の名残惜しい表情を、私は一生忘れないでしょう。
 スンビリン村でのホームステイも印象に残りました。
 ジュイルさん一家の暖かいもてなしに、心から感謝します。物や水が、十分ではないのに村の人たちは、私たちを心から受け入れ、歓迎してくださいました。現地の人たちのホスピタリティあふれた笑顔に出会えたことは、この旅の最大の収穫でした。パイプ設置完了で、村に豊かな水が戻りました。水を得て村の生活も衛生状態が、少しは改善されるでしょう。

 ティウロン村、スンビリン村に又何か、困ったことが起きたら、再び訪れて、ぜひ協力したい、そして、ホームステイをして地元の人たちと友好を深めたい!
 これがこの旅の終わりに、私の感じたことです。

 


「2010年 ボルネオワークキャンプ レポート」  佐野 友美

 ティウロンを支援するあさひさんを知ったことがきっかけとなり、このツアーに参加いたしましたが、現地に滞在するだけでなく、現地の人と生活を共にしたことは非常に貴重な経験となりました。長期休暇を取ることは思い切った選択でしたが、勇気を出してよかったです。


・テノム オイスカ研修センター
オイスカでまず驚いたことが、研修生の皆さんが、私たち日本人の顔をみると礼儀正しく日本語で挨拶をしてくれること。みんなとっても目がきれいで、笑顔が輝いてるのが印象的でした。

 朝、晩の校庭に集合する点呼は、昔の日本の軍隊のようで、迫力に圧倒されました。その様子をみて、研修生達はガチガチに管理されているのかと思いましたが、他の姿をみていると結構自由な感じもしたので、メリハリをきっちりする指導方針なのだと私なりに理解しました。

 お風呂は、桶に溜めた水で、水浴び。もちろんお湯は出ないし、水はにごっている。みんなが使えば水は出なくなる。
 不自由な生活をすることにより、蛇口をひねると無色透明の水が出る、お湯だって出る。飲むことだって出来る、当たり前に育った日本の豊かさを改めて感しました。

 2日目の夜、勇気を出して、お菓子を持って女子のお部屋に遊びに行き、みんなで一緒に折り紙を折り、そして、筆で名前を書いてプレゼントをしたらみんなに喜んでもらえ、前日に来たばかりの私にブレスレットやくまちゃんのポーチなどプレゼントをくれる子も。嬉しいことですが、きっとみんなの大切なものだろうし、こんな大切なものを頂いていいのだろうかと考え直し、気持ちだけでいいよと言ってお返しをしてしまいましたが、お返しをしてから、これで良かったのかとまた悩む(笑)本当にみんなの気持ちが嬉しかったです。


・ティウロン村
 一番楽しみにしていた、あさひちゃんのティウロンホームステイそして植林。

 先ずはお世話になるステイ先の子供トフィーと仲良くなろうと、とりあえず私の持ってきたシャボン玉を出してみるが、あまり反応が無いので、自分でやって見せてみる、それでもあまり反応がない。はずかしいのか、興味が無いのか。。。。次に出してみたのが、画用紙とクレヨン。一緒に描こうと言ってもまたまた反応が無い。筆、次々アイテム出すが、まったく反応が無い。焦ってどんどん汗が吹き出てくる。最後に出した紙風船、膨らませて渡したけど反応無し。でも私が遊んで見せて、そして風船をパスしたら、今度は一緒に遊んでくれて本当に嬉しい。風船が破れるまで遊んでくれた。
 私が別のことをしていたら、ステイ先の男の子トフィーは一人で、シャボン玉で遊び始め、関心が無かったのではなく、恥ずかしかったことに気づき嬉しくなる。

 外に出ると、子供たちはみんなメンコのようなもので遊び、お母さん達は東屋に集まってみんな笑ってしゃべってる。
 ここではだれがだれの子供か全くわからない。そんなことあまり関係ない、子供はみんなの子供、みんなで、みんなの子供をみる。だからきっとここには、育児放棄とか幼児虐待なんて言葉はないのだろう。ずっとこのままでいて欲しい。

 2日目の植林、前日とは違って曇り空、本当に有難い。そして午前中の植林を終え、午後の下草を刈る作業に入り暫くすると、恵みの雨が降り出し、充分とはいえない量だったかもしれませんがこれもまた有難いことでした。


・スンビリン村
 オイスカとティウロンは過去に日本人を受け入れてるが、こちらは外国人の受け入れは初めてとのことで、少し緊張して車を降りたが、村の人は太鼓?鐘??太鼓のような民族楽器を演奏し、温かく迎えてくれました。

 内心、いきなり日本人が来て家に泊めてもらうなんて、本当に歓迎されてるのだろうかとも思いましたが、コタキナバルに住む兄妹夫婦がわざわざ来てくれたり、逢うのを楽しみにしてたと話してくださったり、皆さんオープンマインドで安心して過ごせました。

 スンビリンは初めての日本人ということもあり、私が持って行った折り紙にもとても興味を持って下さり、私が数回教えただけなのに、すぐに覚えて一人でも折ってくれて、床に転がっているのもあったけれど、子供たちが競い合って折り紙を折る姿はとっても嬉しかった。

 2日目の水パイプを埋める作業では、アユちゃん(確か9歳の少女)が、斜面の足場の悪い山の中で、いつも私を気遣ってくれました。
 森田さんもおっしゃってましたが、こちらの子供たちは本当に優しくて気が利きます。ティウロンでの下草を刈ったときの休憩でも、小さな子供がタロイモの葉っぱをうちわ代わりに、森田さんを扇いでくれたり。
 そういえば、私がスンビリンのパーティーにて浴衣姿で汗を拭ってたら、なにも言わないのにステイ先の子供がうちわを持ってきてくれたりもしました。
 この時、山で助けてくれたアユちゃんは、先に行って彼女よりも大きな体の私の手を引いて助けてくれたり、強い日差しが照りつける中で作業をしていると、こっそり日陰の場所へ誘導してくれたり。
 アユちゃんは一緒に遊びたかったのかなぁ。まだまだみんなは作業をしてたけど、途中で私の手を引いてお家の方に帰って一緒にバナナマカンを食べたり。彼女は英語が話せなくて、言葉でのコミュニケーションはうまく取れなかったけど、すごく仲良くなれたように感じました。

 森田さんに、先進国の人たちは、こういった訪問者のことを鮮明に覚えていてくれる。ちゃんと顔まで覚えていて、何年の何月何日かまで覚えていてくれる。特にスンビリンの人たちは私たちが初めての日本人なので、きっと死ぬまで覚えていてくれるだろうと話してくださいました。
こんな突然現れ、3日間滞在しただけの私の事をずっと、死ぬまで覚えててくれるだなんて、話を聞きながら涙があふれてきました。

  3つの場所に滞在後、最後に都会のコタキナバルに行くと、一人で歩く時は常に警戒してなきゃならない。隙を見せてはならない。笑顔で歩いてられない。いつも誰にでも笑顔でいられるティウロンやスンビリンがいかに幸せな場所かを改めて感じました。

 大人も子供もキラキラの笑顔が絶えない生活をずっと続けて欲しい。
時間がゆっくりながれる、パランパランな生活を続けて欲しい。
この豊かな自然に囲まれた生活を続けて欲しい。
地平線まで広がる、見たことも無いくらの数の星空。この星空を守って欲しい。
そのために、大きな事は出来ないけれど、私ができることから始めてみようと思いました。

大したお手伝いは出来ない、私のお手伝いなんて思い出作りのようなもの。
それでも日本から来たというだけで、そこにいるだけで、喜んでもらえる。
たくさんの幸せと、元気をもらいました。このツアーに参加出来て、ティウロンとスンビリンに出逢えてよかったです。ありがとうございました。






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