2010年10月8日から10月13日までの家族三人ティウロンほか訪問日記です。



あさひマレーシア旅日記2010

★旅日記 (10月8日) コタキナバルへ出発

5時半に起きて、中部国際空港から、マレーシア・コタキナバルに向かいました。

いぶきは初の海外、初の飛行機ということで、どうなることかと思いましたが、一度も泣くことはありませんでした。

でも、いぶきも興奮していたのか、サルのような声をだし…お騒がせしました。

セントレア空港から香港まで四時間。バシネットを用意してもらいましたが、10ヵ月のいぶきには入りきらず、ほとんど抱っこ。

香港の空港では二時間程待ち時間があり、その間にめいいっぱい遊ばせて寝かせてしまおうと、いぶきを放すと、いぶきは広い広い空港で、ひたすらハイハイしてました。。そのお陰で、次のフライトは寝てくれて一安心。

香港からコタキナバルまで三時間。 隣が一席分空いていたので、いぶきも座らせられて楽出来ました。
子連れの旅はパワーがいりますね。


コタキナバルに着くと、いつもお世話になってる現地のオイスカスタッフのマリトスさんが迎えに来てくれました。

食事をするため、店に入ると店員さん達がいぶきを抱きにやってきます。

マレーシアでは、子どもは店員さんに任せて、大人達は食事するそうです。

みんなが子守りをしてくれました。

私が驚いて、日本ではノータッチだと言うと、逆に驚いてました。

日本みたいにトイレにも子どもを置く椅子などもなく、抱きながらトイレは大変…と思いますが、トイレに子どもの椅子が無くたって、飲食店に子どもの椅子が無くたって、ここにはたくさんの手と、愛情があります。


たくさんの店員さんに囲まれて、驚いたいぶきは、とうとう泣き出しましたが(笑) みんなが一生懸命あやしてくれました。

知らない店員さんが、昔からの友達のようにフレンドリーで、やっぱりこの国は居心地がいい!!

これから、もっと不便な村へと向かいますが、不便な場所程、たくさんの手と愛情が待っているのではないかとワクワクしています。

便利なのは親から目線。
子供目線になれば、不便なぐらいがちょうどいいのかも。

ホテルに着くと、倒れこむようにみんなで寝ました。







★旅日記(10月9日) コタキナバルでジャランジャラン(散歩)

コタキナバル二日目。

街中のため、ショッピングなどをして、夕方は夕陽の沈む海を見ながらマレーシア料理を食べようと思いつつ。。あいにくの曇り。

コタキナバルの夕陽の美しさは有名です。旦那にその夕陽を見せたかったけど、残念でした。

今回はホテルのため、お湯の出るシャワーもあって、水の流れるトイレもあって、何の不便もありません。

いぶきは、たる(ベビーバス代わり)?を買わなくても、一緒に抱っこでシャワーで大丈夫。
海外のシャワーは、水の勢いはありますが、清潔な水というだけで充分です。

着いた翌日はのんびりする予定でしたが、何だかもったいなくていろいろと出掛けました。

大変なのは、ずっと抱っこで歩くことかな。。

いぶきはママがいいと手を伸ばしてくるため、旦那が抱くより私が抱いて歩くことがほとんど。

体力をかなり使いますが、その分マレーシア料理を食べています。


翌日からは、いよいよ村へと向かいます。

ショッピングなんかは半日出来たら充分。

やっぱり旅は、もっともっと深いところに楽しみがあります。

旅も、人も深い部分に入る程面白い。

 

★旅日記(10月10日) ティウロン訪問

今日はいよいよティウロン。

朝の八時半にコタキナバルを出て車で三時間。日本にはない、高い高い山道を越えていきます。(こちらにはトンネルを掘る技術やお金がないそうです。)


そのため、道はグネグネで標高の高い場所では耳抜きするぐらいでした。

みんないぶきが長時間耐えれるか心配と言ってましたが、グネグネ道も気持ち良さそうに寝てくれて、あっという間にティウロンに着きました。

普段からあまり泣かず、親孝行ないぶきです。

でも、ティウロンに着いた瞬間、たくさんの村人がいぶきをあやしに来ると、ビックリして泣き出しました(笑)

私があやしていた子ども達が、いぶきをあやしてくれることが不思議な光景。みんな可愛かったです。

村のママさん達の美味しい手料理を食べて、ティウロンのために作った曲を披露しました〜。

みんなと歌って、踊って、笑って、分かち合って、楽しい時間。

ずっと繋がっていこうと言うと、拍手がおきました。

村のママさん達は、いぶきに「私たちはあなたのおばあちゃんだよ〜」と言ってくれてました。

私たちはやっぱり家族なんだなぁ〜と、繋がりを感じる時間。


私が妊娠中、村人からたくさんのハグをもらい、お腹にいるいぶきに愛情が注がれ、今、いぶきは村人からたくさんのキスをもらい、さらに愛情をたっぷり吸収し育っている。

いぶきには可愛い子どもの服をプレゼントされました。

毎年、来たいけど、、どうかな。今度はいつ来れるかな。。


ティウロンには、皆さんの募金のお陰で、貯水タンクを設置し、井戸も完成することが出来ました。

そのために、水の問題もなくなったと言われました。

支援が必要でなくなっても、私にはずっと家族として繋がっていく場所です。

井戸も水がたっぷりあって、私たちが植えた苗木もすくすく育って、目に見える幸せも、心に育む幸せもたくさんもらえた1日です。

夜は、ケニンガウという街で宿泊。

ティウロンにいた少女が村を出て、その街で働いてるということで 、夜に私たちのホテルまで会いに来てくれました。

随分綺麗になった彼女と、美味しいマレーシア料理を食べながら、変わらない時間を過ごしました。


出逢った時の彼女はまだ10歳。その頃の思い出話をしながら、また増えていく思い出。

いぶきは記憶には残らないだろうけど、潜在意識の中に「国境を越え、こんなにたくさんの人が自分を愛してくれてる」とインプットされたと思います。

短いけれど、充実した時間。

早くまたおいでと、次はゆっくりホームステイでね!と言われました。

その日が、今から楽しみです♪

 













★旅日記(10月11日)ケニンガウでの感動の再会

この日はケニンガウの街をジャランジャラン(散歩)しながら、モーニング出来る場所を探しました。

モーニング後、バヤンガンという村に、お友達を探しに行きました。

六年前にホームステイしたお宅です。

その時に写した家族の写真を持って、村人に聞いて回ります。

その家族とは、あれ以来連絡もとっていません。

でも、また会えると信じてました。

家族には、次来るときは、旦那と赤ちゃんを連れておいでと言われてましたが、本当に約束通りになりそうです。

しかし、その家族は引っ越しをしたそう。。訪ねた方は、近くだからと車で案内してくれました。


突然の訪問にかなり驚いていたけど、「なんで昨日泊まりに来なかったの?」なんて、、やっぱり温かい。

その彼女は私と同じ歳。イスラムの信者で、マレーシアに住んでいて、、全く違う年月を過ごしてきたのに、出逢えた時は何だか不思議と近くに感じました。

彼女は当時、二人のママ。六年の月日が過ぎて、四人のママになっていました。
四番目の赤ちゃんが、うちのいぶきと同じ歳。そして同じ11月産まれ。

またまた奇跡を感じました。何十億の一人に出逢えたことも奇跡ですが、その人の人生と喜ぶ瞬間も同じ時期だったなんて、なんか不思議です。。


こんなに、たくさんの日本人とすれ違い、言葉さえ交わさない人が多い中。
どうしてマレーシアの田舎で彼女に出逢えたんだろうか。

彼女と再会出来たとき、彼女は喜んで私にハグしにきてくれました。

出逢えた瞬間、涙が出そうになりましたが、きっとまた会えるんだと信じたら、別れは笑顔でいられました。


また会えた時、私たちはどんな年月を重ねているだろう。

今度はもちろんホームステイで遊びに行こう。

肌の色も、着ているものが違っても、一緒にいればわかるでしょう。

いぶきにだって、同じだってことが。

そもそも、いぶきには違いがわからないかもしれない。

マスコミに惑わされず、歴史を引きずらず、目の前の事実を受け入れて、好きなものを好きと言える自分でいよう。

政治的にいろいろな問題がある国でも、そこには素晴らしい人々が必ずいます。





★旅日記(10月12日)大好きな家族に娘を紹介

この日は午前中にスンビリンという村まで行き、前回のツアーで完成したパイプを見に行きました。

皆さんの支援で出来たパイプです。

山からパイプを繋ぎ、山の水を届けます。

お陰できれいな水を飲むことが出来るようになったとのことでした。

私は、前回のツアーは産後のため、日本で留守番。

水が出る、感動の瞬間に立ち会えなかったことは残念ですが、こうして喜んでる村人さん達に出逢えたことは嬉しかったです。

ツアーでは、パイプを取り付ける作業がかなり大変だったそうですが、、。

参加して下さった皆さん、ありがとうございます。

村の方達が、美味しいご馳走を準備してくれてました。

食事をしながら、村の方は言われました。

「今はお陰で水がたくさんあります。でも乾季になると、山の水もなくなって、水がなくなってしまう…」と。


そのことも視野に入れながら、今後の活動を考えていきたいです。








昼からは、パパールという村へ。

この旅は随分、移動が多くて、しかも長くて、、いぶきがかわいそうだったけど、毎回ぐっすり寝てくれて助かりました。

パパールには、私の募金活動のきっかけになった家族がいます。

9年前に、ティウロンでお世話になった家族。
今は、引っ越して、ティウロンにはいないけど、、今もこうして、何度も遊びに行ってます。

六時間ぐらい、ただただ、のんびりとみんなで過ごしました。

子ども達と散歩して、昼寝して、ご飯を食べて。。

ただそれだけの時間が、街で過ごすよりも楽しく、幸せでした。


私が遊んでいた子ども達が、いぶきと遊んでくれてる。

幸せな光景でした。


部屋には、昨年私がティウロンで着たウェディングドレスが飾ってありました。
昨年、結婚式に参加してくれた家族。

大きくなった娘にプレゼントしてきました。

大切に飾られていたことが嬉しくて、、

いつか、袖をとおす娘達に会いたいです。


ティウロンで、日本人が結婚式を挙げたのは、私たちが初めてだったそうですが、いぶきもいつか嫁にいくとき、ティウロンでも挙げてくれないかな。。

日本人二組目になって欲しい(笑)

家族の繋がりの中に、未来があること。

それが一番の幸せです。









 


★旅日記(最終日) 海の見えるレストランで乾杯

ボルネオの旅も最終日。
特に観光もなく、人に会うことがメインで旅して来ましたが、最終日は船に乗って、青い海にシュノーケルをしに行く予定でした。

カラフルな魚が泳いでいて、魚と一緒に泳ぐのは最高に気持ちいい。

昨年旦那を連れて、初めてボルネオで泳いだとき、海で泳ぐのが大嫌いだった旦那を海好きにしてくれたのは、ボルネオでした。


いぶきにもキレイな海を見せたかったし、いぶきを交代で見ながらシュノーケルするのを、ものすご〜く楽しみにしていましたが、、
雨・雨・雨。

何度も外を眺めたけれど風も強いし諦めました。


買い物するものも特にないけど、フラフラとコタキナバルの街を散歩。


船が出る予定だった時間を過ぎると、天気も良くなり、かなりショック。


でも、これはいぶきの声と思うことにしました。

乗る予定だった船は、めちゃめちゃ早く荒い船?です。

いぶきが乗れるか心配だったし、着いたところで、強い日射しに耐えられたかどうか。。

全て必然と思って、悔いは残るものの、次回の楽しみに残しておきました。


旦那と次回はいつ来るか予定をたてながら、海の見えるレストランで乾杯(マンゴージュース)。


多分、、次回は来年!ホームステイを兼ねて、家族できます♪

いぶきが少し大きくなったら、子連れOKの植林ツアーを作りたいです。

小さな子供に貧しさを体感させる。そして、心の豊かさを体感させる。

純粋な子供達は、気付いていくでしょう。

大切な豊かさと、幸せが何か。


人の価値観で決められた「幸せ」じゃなくて、心で感じる「幸せ」を大切に出来る子供達を増やしていきたいです。



〜旅を終えて感じたこと〜

あっという間の一週間の旅が終了して、今回の一番の収穫はというと、、

前回のツアーで訪問した、スンビリン村に行けたことかな。

私は今回初めて、スンビリンに行きました。

やっぱり目の前での出会いがなければ、募金活動は続きません。

具体的に誰かの笑顔が浮かぶとき、頑張って募金活動しようと思います。


現地に行って、生の声を聞けたのも良かったです。

水の問題が無くなったというティウロン。

新たに貯水タンクが必要というスンビリン。


ティウロンは、日本のようにキレイな水が水道から出るようになったわけではありません。

井戸と雨水で生活してますが、充分なんですよね。
日本のレベルで、与えすぎても支援にはなりません。

現地に行く、そして見て感じる。

これは本当に大切。


みんなとはこれからも繋がっていきます。

いぶきの誕生を、家族のように喜んでくれたみんな。

ここで、私は家族の在り方を学んだから、やっぱりいぶきもこの村の家族の一員として、何度も訪れたい。

物は与えすぎず、自分で想像して遊べる工夫が出来れば、あらゆる想像力が育まれるんじゃないかな。

遊び道具が少なくて、公園なんて無くたって、外で元気に遊ぶ子供達はたくましかった。

そして、「これが欲しい、あれが欲しい」と求めず、優しかった。

誰かの笑顔を想像する。

それが出来る人は、優しくなれる。

自然の中で、たくさんの想像力を育てたい。


そして、誰かの笑顔を想像し、相手を喜ばせるための行動が起こせるように娘を育てていきたいです。

 



  








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